弐拾
岡田に蛇を殺して貰った日の事である。お玉はこれまで目で会釈をした事しか無い岡田と親しく話をした為めに、自分の心持が、我ながら驚く程急劇に変化して来たのを感じた。女には欲しいとは思いつつも買おうとまでは思わぬ品物がある。そう云う時計だとか指環だとかが、硝子窓の裏に飾ってある店を、女はそこを通る度に覗いて行く。わざわざその店の前に往こうとまではしない。何か外の用事でそこの前を通り過ぎることになると、きっと覗いて見るのである。欲しいと云う望みと、それを買うことは所詮企て及ばぬと云う諦めとが一つになって、或る痛切で無い、微かな、甘い哀傷的情緒が生じている。女はそれを味うことを楽みにしている。それとは違って、女が買おうと思う品物はその女に強烈な苦痛を感ぜさせる。女は落ち着いていられぬ程その品物に悩まされる。縦い幾日か待てば容易く手に入ると知っても、それを待つ余裕が無い。女は暑さをも寒さをも夜闇をも雨雪をも厭わずに、衝動的に思い立って、それを買いに往くことがある。万引なんと云うことをする女も、別に変った木で刻まれたものでは無い。只この欲しい物と買いたい物との境界がぼやけてしまった女たるに過ぎない。岡田はお玉のためには、これまで只欲しい物であったが、今や忽ち変じて買いたい物になったのである。
お玉は小鳥を助けて貰ったのを縁に、どうにかして岡田に近寄りたいと思った。最初に考えたのは、何か品物を梅に持たせて礼に遣ろうかと云う事である。さて品物は何にしようか、藤村の田舎饅頭でも買って遣ろうか。それでは余り智慧が無さ過ぎる。世間並の事、誰でもしそうな事になってしまう。そんならと云って、小切れで肘衝でも縫って上げたら、岡田さんにはおぼこ娘の恋のようで可笑しいと思われよう。どうも好い思附きが無い。さて品物は何か工夫が附いたとして、それをつい梅に持たせて遣ったものだろうか。名刺はこないだ仲町で拵えさせたのがあるが、それを添えただけでは、物足らない。ちょっと一筆書いて遣りたい。さあ困った。学校は尋常科が済むと下がってしまって、それからは手習をする暇も無かったので、自分には満足な手紙は書けない。無論あの御殿奉公をしたと云うお隣のお師匠さんに頼めばわけは無い。しかしそれは厭だ。手紙には何も人に言われぬような事を書く積りではないが、とにかく岡田さんに手紙を遣ると云うことを、誰にも知らせたくない。まあ、どうしたものだろう。
丁度同じ道を往ったり来たりするように、お玉はこれだけの事を順に考え逆に考え、お化粧や台所の指図に一旦まぎれて忘れては又思い出していた。そのうち末造が来た。お玉は酌をしつつも思い出して、「何をそんなに考え込んでいるのだい」と咎められた。「あら、わたくしなんにも考えてなんぞいはしませんわ」と、意味の無い笑顔をして見せて、私かに胸をどき附かせた。しかしこの頃はだいぶ修行が詰んで来たので、何物かを隠していると云うことを、鋭い末造の目にも、容易に見抜かれるような事は無かった。末造が帰った跡で見た夢に、お玉はとうとう菓子折を買って来て、急いで梅に持たせて出した。その跡で名刺も添えず手紙も附けずに遣ったのに気が附いて、はっと思うと、夢が醒めた。
翌日になった。この日は岡田が散歩に出なかったか、それともこっちで見はずしたか、お玉は恋しい顔を見ることが出来なかった。その次の日は岡田が又いつものように窓の外を通った。窓の方をちょいと見て通り過ぎたが、内が暗いのでお玉と顔を見合せることは出来なかった。その又次の日は、いつも岡田の通る時刻になると、お玉は草帚を持ち出して、格別五味も無い格子戸の内を丁寧に掃除して、自分の穿いている雪踏の外、只一足しか出して無い駒下駄を、右に置いたり、左に置いたりしていた。「あら、わたくしが掃きますわ」と云って、台所から出た梅を、「好いよ、お前は煮物を見ていておくれ、わたし用が無いからしているのだよ」と云って追い返した。そこへ丁度岡田が通り掛かって、帽を脱いで会釈をした。お玉は帚を持ったまま顔を真っ赤にして棒立に立っていたが、何も言うことが出来ずに、岡田を行き過ぎさせてしまった。お玉は手を焼いた火箸をほうり出すように帚を棄てて、雪踏を脱いで急いで上がった。
お玉は箱火鉢の傍へすわって、火をいじりながら思った。まあ、私はなんと云う馬鹿だろう。きょうのような涼しい日には、もう窓を開けて覗いていては可笑しいと思って、余計な掃除の真似なんぞをして、切角待っていた癖に、いざと云う場になると、なんにも言うことが出来なかった。檀那の前では間の悪いような風はしていても、言おうとさえ思えば、どんな事でも言われぬことは無い。それに岡田さんにはなぜ声が掛けられなかったのだろう。あんなにお世話になったのだから、お礼を言うのは当前だ。それがきょう言われぬようでは、あの方に物を言う折は無くなってしまうかも知れない。梅を使にして何か持たせて上げようと思っても、それは出来ず、お目に掛かっても、物を言うことが出来なくては、どうにも為様がなくなってしまう。一体わたしはあの時なぜ声が出なかったのだろう。そう、そう。あの時わたしは慥かに物を言おうとした。唯何と云って好いか分からなかったのだ。「岡田さん」と馴々しく呼び掛けることは出来ない。そんならと云って、顔を見合せて「もしもし」とも云いにくい。ほんにこう思って見ると、あの時まごまごしたのも無理はない。こうしてゆっくり考えて見てさえ、なんと云って好いか分からないのだもの。いやいや。こんな事を思うのは矢っ張わたしが馬鹿なのだ。声なんぞを掛けるには及ばない。すぐに外へ駆け出せば好かったのだ。そうしたら岡田さんが足を駐めたに違いない。足さえ駐めて貰えば、「あの、こないだは飛んだ事でお世話様になりまして」とでも、なんとでも云うことが出来たのだ。お玉はこんな事を考えて火をいじっているうちに、鉄瓶の蓋が跳り出したので、湯気を洩らすように蓋を切った。
それからはお玉は自分で物を言おうか、使を遣ろうかと二様に工夫を凝らしはじめた。そのうち夕方は次第に涼しくなって、窓の障子は開けていにくい。庭の掃除はこれまで朝一度に極まっていたのに、こないだの事があってからは、梅が朝晩に掃除をするので、これも手が出しにくい。お玉は湯に往く時刻を遅くして、途中で岡田に逢おうとしたが、坂下の湯屋までの道は余り近いので、なかなか逢うことが出来なかった。又使を遣ると云うことも、日数が立てば立つ程出来にくくなった。
そこでお玉は一時こんな事を思って、無理に諦めを附けていた。わたしはあれきり岡田さんにお礼を言わないでいる。言わなくては済まぬお礼が言わずにあって見れば、わたしは岡田さんのしてくれた事を恩に被ている。このわたしが恩に被ていると云うことは岡田さんには分かっている筈である。こうなっているのが、却って下手にお礼をしてしまったより好いかも知れぬと思ったのである。
しかしお玉はその恩に被ていると云うことを端緒にして、一刻も早く岡田に近づいて見たい。唯その方法手段が得られぬので、日々人知れず腐心している。
お玉は気の勝った女で、末造に囲われることになってから、短い月日の間に、周囲から陽に貶められ、陰に羨まれる妾と云うものの苦しさを味って、そのお蔭で一種の世間を馬鹿にしたような気象を養成してはいるが、根が善人で、まだ人に揉まれていぬので、下宿屋に住まっている書生の岡田に近づくのをひどくおっくうに思っていたのである。
そのうち秋日和に窓を開けていて、又岡田と会釈を交す日があっても、切角親しく物を言って、手拭を手渡ししたのが、少しも接近の階段を形づくらずにしまって、それ程の事のあった後が、何事もなかった前と、なんの異なる所もなくなっていた。お玉はそれをひどくじれったく思った。
末造が来ていても、箱火鉢を中に置いて、向き合って話をしている間に、これが岡田さんだったらと思う。最初はそう思う度に、自分で自分の横着を責めていたが、次第に平気で岡田の事ばかり思いつつも、話の調子を合せているようになった。それから末造の自由になっていて、目を瞑って岡田の事を思うようになった。折々は夢の中で岡田と一しょになる。煩わしい順序も運びもなく一しょになる。そして「ああ、嬉しい」と思うとたんに、相手が岡田ではなくて末造になっている。はっと驚いて目を醒まして、それから神経が興奮して寐られぬので、じれて泣くこともある。
いつの間にか十一月になった。小春日和が続いて、窓を開けて置いても目立たぬので、お玉は又岡田の顔を毎日のように見ることが出来た。これまで薄ら寒い雨の日などが続いて、二三日も岡田の顔の見られぬことがあると、お玉は塞いでいた。それでも飽くまで素直な性なので、梅に無理を言って迷惑させるような事はない。ましてや末造に不機嫌な顔を見せなんぞはしない。唯そんな時は箱火鉢の縁に肘を衝いて、ぼんやりして黙っているので、梅が「どこかお悪いのですか」と云ったことがあるだけである。それが岡田の顔がこの頃続いて見られるので、珍らしく浮き浮きして来て、或る朝いつもよりも気軽に内を出て、池の端の父親の所へ遊びに往った。
お玉は父親を一週間に一度ずつ位はきっと尋ねることにしているが、まだ一度も一時間以上腰を落ち着けていたことは無い。それは父親が許さぬからである。父親は往く度に優しくしてくれる。何か旨い物でもあると、それを出して茶を飲ませる。しかしそれだけの事をしてしまうと、すぐに帰れと云う。これは老人の気の短い為めばかりでは無い。奉公に出したからには、勝手に自分の所に引き留めて置いては済まぬと思うのである。お玉が二度目か三度目に父親の所に来た時、午前のうちは檀那の見えることは決して無いから、少しはゆっくりしていても好いと云ったことがある。父親は承知しなかった。「なる程これまではお出がなかったかも知れない。それでもいつ何の御用事があってお出なさるかも知れぬではないか。檀那に申し上げておひまを戴いた日は別だが、お前のように買物に出て寄って、ゆっくりしていてはならない。それではどこをうろついているかと、檀那がお思なされても為方が無い」と云うのであった。
若し父親が末造の職業を聞いて心持を悪くしはすまいかと、お玉は始終心配して、尋ねて往く度に様子を見るが、父親は全く知らずにいるらしい。それはその筈である。父親は池の端に越して来てから、暫く立つうちに貸本を読むことを始めて、昼間はいつも眼鏡を掛けて貸本を読んでいる。それも実録物とか講談物とか云う「書き本」に限っている。この頃読んでいるのは三河後風土記である。これはだいぶ冊数が多いから、当分この本だけで楽めると云っている。貸本屋が「読み本」を見せて勧めると、それは譃の書いてある本だろうと云って、手に取って見ようともしない。夜は目が草臥れると云って本を読まずに、寄せへ往く。寄せで聞くものなら、本当か譃かなどとは云わずに、落語も聞けば義太夫も聴く。主に講釈ばかり掛かる広小路の席へは、余程気に入った人が出なくては往かぬのである。道楽は只それだけで、人と無駄話をすると云うことが無いから、友達も出来ない。そこで末造の身の上なぞを聞き出す因縁は生じて来ぬのである。
それでも近所には、あの隠居の内へ尋ねて来る好い女はなんだろうと穿鑿して、とうとう高利貸の妾だそうだと突き留めたものもある。若し両隣に口のうるさい人でもいると、爺いさんがどんなに心安立をせずにいても、無理にも厭な噂を聞せられるのだが、為合せな事には一方の隣が博物館の属官で、法帖なんぞをいじって手習ばかりしている男、一方の隣がもう珍らしいものになっている板木師で、篆刻なんぞには手を出さぬ男だから、どちらも爺いさんの心の平和を破るような虞はない。まだ並んでいる家の中で、店を開けて商売をしているのは蕎麦屋の蓮玉庵と煎餅屋と、その先きのもう広小路の角に近い処の十三屋と云う櫛屋との外には無かった時代である。
爺いさんは格子戸を開けて這入る人のけはい、軽げな駒下駄の音だけで、まだ優しい声のおとないを聞かぬうちに、もうお玉が来たのだと云うことを知って、読みさしの後風土記を下に置いて待っている。掛けていた目金を脱して、可哀い娘の顔を見る日は、爺いさんのためには祭日である。娘が来れば、きっと目金を脱す。目金で見た方が好く見える筈だが、どうしても目金越しでは隔てがあるようで気が済まぬのである。娘に話したい事はいつも溜まっていて、その一部分を忘れて残したのに、いつも娘の帰った跡で気が附く。しかし「檀那は御機嫌好くてお出になるかい」と末造の安否を問うことだけは忘れない。
お玉はきょう機嫌の好い父親の顔を見て、阿茶の局の話を聞せて貰い、広小路に出来た大千住の出店で買ったと云う、一尺四方もある軽焼の馳走になった。そして父親が「まだ帰らなくても好いかい」と度々聞くのに、「大丈夫よ」と笑いながら云って、とうとう正午近くまで遊んでいた。そしてこの頃のように末造が不意に来ることのあるのを父親に話したら、あの帰らなくても好いかと云う催促が一層劇しくなるだろうと、心の中で思った。自分はいつか横着になって、末造に留守の間に来られてはならぬと云うような心遣をせぬようになっているのである。