拾陸
無縁坂の人通りが繁くなった。九月になって、大学の課程が始まるので、国々へ帰っていた学生が、一時に本郷界隈の下宿屋に戻ったのである。
朝晩はもう涼しくても、昼中はまだ暑い日がある。お玉の家では、越して来た時掛け替えた青簾の、色の褪める隙のないのが、肱掛窓の竹格子の内側を、上から下まで透間なく深く鎖している。無聊に苦んでいるお玉は、その窓の内で、暁斎や是真の画のある団扇を幾つも挿した団扇挿しの下の柱にもたれて、ぼんやり往来を眺めている。三時が過ぎると、学生が三四人ずつの群をなして通る。その度毎に、隣の裁縫の師匠の家で、小雀の囀るような娘達の声が一際喧しくなる。それに促されてお玉もどんな人が通るかと、覚えず気を附けて見ることがある。
その頃の学生は、七八分通りは後に言う壮士肌で、稀に紳士風なのがあると、それは卒業直前の人達であった。色の白い、目鼻立の好い男は、とかく軽薄らしく、利いた風で、懐かしくない。そうでないのは、学問の出来る人がその中にあるのかは知れぬが、女の目には荒々しく見えて厭である。それでもお玉は毎日見るともなしに、窓の外を通る学生を見ている。そして或る日自分の胸に何物かが芽ざして来ているらしく感じて、はっと驚いた。意識の閾の下で胎を結んで、形が出来てから、突然躍り出したような想像の塊に驚かされたのである。
お玉は父親を幸福にしようと云う目的以外に、何の目的も有していなかったので、無理に堅い父親を口説き落すようにして人の妾になった。そしてそれを堕落せられるだけ堕落するのだと見て、その利他的行為の中に一種の安心を求めていた。しかしその檀那と頼んだ人が、人もあろうに高利貸であったと知った時は、余りの事に途方に暮れた。そこでどうも自分一人で胸のうやもやを排し去ることが出来なくなって、その心持を父親に打ち明けて、一しょに苦み悶えて貰おうと思った。そうは思ったものの、池の端の父親を尋ねてその平穏な生活を目のあたり見ては、どうも老人の手にしている杯の裡に、一滴の毒を注ぐに忍びない。よしやせつない思をしても、その思を我胸一つに畳んで置こうと決心した。そしてこの決心と同時に、これまで人にたよることしか知らなかったお玉が、始て独立したような心持になった。
この時からお玉は自分で自分の言ったり為たりする事を窃に観察するようになって、末造が来てもこれまでのように蟠まりのない直情で接せずに、意識してもてなすようになった。その間別に本心があって、体を離れて傍へ退いて見ている。そしてその本心は末造をも、末造の自由になっている自分をも嘲笑っている。お玉はそれに始て気が附いた時ぞっとした。しかし時が立つと共に、お玉は慣れて、自分の心はそうなくてはならぬもののように感じて来た。
それからお玉が末造を遇することは愈厚くなって、お玉の心は愈末造に疎くなった。そして末造に世話になっているのが難有くもなく、自分が末造の為向けてくれる事を恩に被ないでも、それを末造に対して気の毒がるには及ばぬように感ずる。それと同時に又なんの躾をも受けていない芸なしの自分ではあるが、その自分が末造の持物になって果てるのは惜しいように思う。とうとう往来を通る学生を見ていて、あの中に若し頼もしい人がいて、自分を今の境界から救ってくれるようにはなるまいかとまで考えた。そしてそう云う想像に耽る自分を、忽然意識した時、はっと驚いたのである。
この時お玉と顔を識り合ったのが岡田であった。お玉のためには岡田も只窓の外を通る学生の一人に過ぎない。しかし際立って立派な紅顔の美少年でありながら、己惚らしい、気障な態度がないのにお玉は気が附いて、何とはなしに懐かしい人柄だと思い初めた。それから毎日窓から外を見ているにも、又あの人が通りはしないかと待つようになった。
まだ名前も知らず、どこに住まっている人か知らぬうちに、度々顔を見合わすので、お玉はいつか自然に親しい心持になった。そしてふと自分の方から笑い掛けたが、それは気の弛んだ、抑制作用の麻痺した刹那の出来事で、おとなしい質のお玉にはこちらから恋をし掛けようと、はっきり意識して、故意にそんな事をする心はなかった。
岡田が始て帽子を取って会釈した時、お玉は胸を躍らせて、自分で自分の顔の赤くなるのを感じた。女は直覚が鋭い。お玉には岡田の帽子を取ったのが発作的行為で、故意にしたのでないことが明白に知れていた。そこで窓の格子を隔てた覚束ない不言の交際が爰に新しい époque に入ったのを、この上もなく嬉しく思って、幾度も繰り返しては、その時の岡田の様子を想像に画いて見るのであった。
妾も檀那の家にいると、世間並の保護の下に立っているが、囲物には人の知らぬ苦労がある。お玉の内へも或る日印絆纏を裏返して着た三十前後の男が来て、下総のもので国へ帰るのだが、足を傷めて歩かれぬから、合力をしてくれと云った。十銭銀貨を紙に包んで、梅に持たせて出すと紙を明けて見て、「十銭ですかい」と云って、にやりと笑って、「おお方間違だろうから、聞いて見てくんねえ」と云いつつ投げ出した。
梅が真っ赤になって、それを拾って這入る跡から、男は無遠慮に上がって来て、お玉の炭をついでいる箱火鉢の向うに据わった。なんだか色々な事を云うが、取り留めた話ではない。監獄にいた時どうだとか云うことを幾度も云って、息張るかと思えば、泣言を言っている。酒の匀が胸の悪い程するのである。
お玉はこわくて泣き出したいのを我慢して、その頃通用していた骨牌のような形の青い五十銭札を二枚、見ている前で出して紙に包んで、黙って男の手に渡した。男は存外造作なく満足して、「半助でも二枚ありやあ結構だ、姉えさん、お前さんは分りの好い人だ、きっと出世しますよ」と云って、覚束ない足を踏み締めて帰った。
こんな出来事があったので、お玉は心細くてならぬ所から、「隣を買う」と云うことをも覚えて、変った菜でも拵えた時は、一人暮らしでいる右隣の裁縫のお師匠さんの所へ、梅に持たせて遣るようになった。
師匠はお貞と云って、四十を越しているのに、まだどこやら若く見える所のある、色の白い女である。前田家の奥で、三十になるまで勤めて、夫を持ったが間もなく死なれてしまったと云う。詞遣が上品で、お家流の手を好く書く。お玉が手習がしたいと云った時、手本などを貸してくれた。
或る日の朝お貞が裏口から、前日にお玉の遣った何やらの礼を言いに来た。暫く立話をしているうちに、お貞が「あなた岡田さんがお近づきですね」と云った。
お玉はまだ岡田と云う名を知らない。それでいて、お師匠さんの云うのはあの学生さんの事だと云うこと、こう聞かれるのは自分に辞儀をした所を見られたのだと云うこと、この場合では厭でも知った振をしなくてはならぬと云うことなどが、稲妻のように心頭を掠めて過ぎた。そして遅疑した跡をお貞が認め得ぬ程速かに、「ええ」と答えた。
「あんなお立派な方でいて、大層品行が好くてお出なさるのですってね」とお貞が云った。
「あなた好く御存じね」と大胆にお玉が云った。
「上条のお上さんも、大勢学生さん達が下宿していなすっても、あんな方は外にないと云っていますの」こう云って置いて、お貞は帰った。
お玉は自分が褒められたような気がした。そして「上条、岡田」と口の内で繰り返した。